後悔の重荷を下ろす

誰でも失敗します。誰でも、過去を振り返ると、あれをして恥ずかしいと感じることもあると思います。時間が経つことだけで、後悔が自然に消える場合もありますけど、ずっと引きずる後悔もあります。心を潰すほど重くなる時もあります。その重荷はどうすればいいでしょうか。平安を見出す道はあるでしょうか。私たちの心を深く探り、たくさんの人に心の安らぎを与えてきた聖書が次のことを勧めます。

 *自分の間違いを認める。

自分の誤りを認めない者は成功しませんが

素直に認め、直そうとする人はあわれみを受けます。(箴言28:13、聖書)

私達が真正面から自分の失敗に向き合わない限り、その重荷はなんともできないものです。私達の心に、ずっと宿る暗闇となります。後悔の重荷を下ろす第一歩はその重荷に至った自分の失敗を認めることです。

 *あわれみを受ける

以上のあわれみは赦され、受け入れられ、立ちあがらされることです。愛を示されることです。誰にあわれみを受けるのでしょうか。勿論、自分の行動や言葉に傷ついた人がいれば、その人に謝り、仲直りを求めることはとても大事です。しかし、人間は複雑で、悲しいことに相手に赦されない場合もあります。でも、幸いに、聖書によると私達一人一人を愛の目で見ていて、絶えず大切にしてくださっている神様がおられます。次のように書いてあります。

もし自らの罪(犯罪に限らず、妬みや悪口や恨みや高ぶりなども意味している)を神に告白するなら、神は真実な方ですから、その罪を赦し、すべての罪から私達をきよめてくださいます。     (第1ヨハネ1:9、聖書)

この世界は神様の世界だから、私達の罪は人間に対するというより先に、この世界を造り、人間を造られる神様に対するものです。だからこそ、最も深い意味で、神様は私達のすべての罪を赦し、私達の心をきよめることができます。その結果、私たちはずっと引きずって来たあの後悔、あの後ろめたさを下ろすことができます。

 牛山泉さん(足利大学理事長)という方が教会の大会に行って、イエス・キリストとそのあわれみに出会いました。そのことについて、こう記しました。「イエスさまが救い主だと確信でき、罪の意識が取り除かれました。背中に背負っていた重荷(罪悪感)が全部なくなったようで、身も心も軽くなりました。大会が終わった後は、もううれしくてうれしくて仕方がありませんでした。」

 イエス・キリストはこれを読んでいるあなたをも、神様のあわれみへと招いてくださっています。以下の言葉を仰せられました。

 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(中略)わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎを得ます。  (マタイ11:28−29、聖書)

 この安らぎについてもっと聞きたい方は教会に来てみてください。

この文章はいずみ教会のジョン牧師による