この人生の大切さ

 私は子供の頃、何より好きだったのは、友達と遊ぶことでした。友達と話したり、笑ったり、冒険したり、新しいことをやってみたり、夢を分かち合ったりすることなどは最高でした。この人生はすばらしいものだと深く感じました。

 しかし、その中で、寂しさも感じました。日々の楽しい一瞬一瞬が忘れられていくのに気づいたからです。昨日、なぜそんなに笑ったか思い出せないこともありました。友達との会話を録音したい、人生を録画したいという気持ちにもなりました。大切な時が終わったらただ消えていくということをとても残念に思いました。

 大きくなるにつれて、この寂しさは人生全体も同じかもしれないという不安になりました。人生は短く輝いてからただ消えていく炎のようなものだ。結局、人生の経験はぜんぶ何にもならない。今、何をしても、どのように人生を過ごしても、結局のところ、何も変わらない。なんでも消えていくから。ならば、人生の意味は一体なんなのか。意味ないじゃない?

 そうこう考えている内に聖書を真剣に読み始めました。人生についてわからないことが今もいっぱいありますが、聖書の教えを通して、不安から解放してくれる真実がわかりました。そもそも、この人生はなぜ大切なんでしょうか。私達が偶然でできた生物だけであれば、人間は虫と全く変わらないものなのです。しかし、聖書からわかったのは、私は私を愛する神様に造られたこと、神様は目的をもって私を造り私のために大切で有意義の人生を備えてくださったということです。

 この人生に楽しい時もあれば、辛い時もありますが、聖書からわかったのは、神様はどんな時であっても私と一緒におられ私の経験を大切にし益として働かせてくださることです。私が忘れても、意味がわからなくても、神様は私の全ての経験を生かしてくださいます。

 もう1つわかったことは、この人生は全てではないということです。死んでも、神様と一緒に永遠に生きます。しかし、永遠に生きるとはこの人生のように辛いことの繰り返しではありません。永遠の憩い、永遠の平和、永遠の楽しみです。この人生のあらゆる経験は神様の愛と力によって、永遠のいのちにおける喜びに変えられていきます。神様の御手にあって、不毛の経験はありません。

あなた(神様)は私に いのちの道を知らせてくださいます。    

満ち足りた喜びが あなたの観前にあり              

楽しみが あなたの右にとこしえにあります。 (詩篇16:11、聖書)