備えられた道

市内のあちらこちらで、上へ上へと、高さを競うかのような高層ビルやマンションが、建設中です。空へと向かっていく技術のすごさに驚きをもって、一体どこまで高くなるのだろうと眺めている時、逆に地上で一番低い場所とはいったいどこだろうと、ふと思いました。

それは私の足の下にある、この道でした。

冬の間は、記録的な豪雪で、道が消えてしまったかのように思える日々でしたが雪の下に、道はいつもありました。雪に埋まって見えなかっただけのことです。なのに、人も車もあんなに大変だった数か月。ホワイトアウトを経験した時には、数メートル先さえ全く見えず、恐怖を覚えました。自分の道が見えないということは、本当に危険で不安なことでした。

道というものは、もともとは自分よりずっと先に生まれた人達が、自らの為だけでなく、会うこともない未来の人(私たち)のために開拓して作ってくれたものです。苦労をして、先に備えてくれた人々がいて、すべての土台となる地上で一番低い場所が、私たちの足の下に与えられました。道は、私たちをここから目的地へ運び、遠い場所へと繋いでくれ、それなしで、私たちはどこへもいけません。ですが、私たちはそこを当たり前のように、毎日歩いています。

イエス・キリストは 私たちが人生を歩みやすいようにと、高いところから指示するのではなく、私たちが迷うことなく歩き、目的地へちゃんと着けるようにと、ご自分を誰よりも最も低い者とされ、道となって下さいました。その道は、私がよろけた時には、その恵みによって支え、自分の位置を見失わない様にと、命の光で照らされている道です

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。”(ヨハネ14:6)

備えられたこの道を、感謝しつつ一歩一歩しっかり歩みたいと思います

これはいずみ教会の1人による証です。