2026年8月5日祈り会メッセージ「私たちに働く神の力」

(メッセンジャー:Wenjun Wu師)


聖書:エペソ1:19–23
賛美:「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ第一5:16-18)
---導入---
皆さん、エペソ書1章は大きく二つに分けることができます。
前半の1〜14節では、神がキリストにあって私たちに与えてくださった救いの祝福が賛美されています。父なる神は私たちを選び、御子イエスは十字架によって贖い、聖霊は私たちに証印を押してくださいました。つまり、「神が何をしてくださったのか」が語られています。
そして後半の15〜23節では、パウロはエペソの教会のために祈ります。しかし、その祈りは「病気を治してください」「生活を豊かにしてください」というものではありません。
パウロは、「神がすでに与えてくださった恵みを、もっと深く知ることができますように」と祈っています。
その中で三つのことを知るように祈っています。
•神の召しの望み(18節)
•神の子として受け継ぐものの栄光の豊かさ(18節)
•そして、信じる私たちに働く神の力の偉大さです(19-21節)。
今日は、この三つ目に目を向けたいと思います。
---神の力---
パウロは19節で、「神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」と祈ります。
そして20節以降で、その力とは何かを説明します。
それは、キリストを死者の中からよみがえらせた力です。
さらにその力は、キリストを天に上げ、神の右の座に着かせ、すべての支配、権威、権力、主権の上に立たせました。
つまり、復活・昇天・王としての即位は、すべて神の力による働きなのです。
そしてパウロが本当に伝えたいことは、「そのような力が昔あった」ということではありません。
その同じ神の力が、今、私たち信じる者のうちに働いているということです。
エペソ書はこのあと2章で、私たちもキリストと共に生かされ、共によみがえらされ、共に天上に座らされた、と語っていきますし、3章では「私たちのうちに働く力」という言葉でもう一度はっきり語られます。つまりパウロはここで一度きりのことを言っているので
はなくて、エペソ書全体を通して、キリストに起こったことが信じる私たちにも及んでいるんだ、ということを繰り返し伝えようとしているんですね。
では、ここで言う「信じる者」とは誰のことでしょうか。それは、イエス・キリストを自分の救い主、そして人生の主として信頼し、その方に自分を委ねている人のことです。
私たちは、自分の力だけで信仰生活を送ろうとすると、すぐに疲れてしまいます。
「もっと祈らなければ。」 「もっと奉仕しなければ。」 「もっと愛さなければ。」
そう思って努力しますが、自分の力だけでは限界があります。
しかし、パウロは「あなたが頑張りなさい」とは言いません。
「神の力があなたのうちに働いていることを知りなさい」と言うのです。
そして、この神の力は、私たち一人ひとりだけの話では終わりません。信じる者一人ひとりのうちに働くこの力は、私たちを結び合わせて、キリストのからだである教会を形づくっていきます。ですから、このことは、私たちの教会生活にも大きく関わっているんです。
教会は、一人ひとりが自分の力だけで奉仕をする場所ではありません。
復活されたキリストの力によって、一人ひとりが支えられ、励まされ、変えられ、互いに仕え合う共同体です。
ですから、教会生活は「何をしなければならないか」から始まるのではなく、「キリストが今も働いておられる」という信仰から始まります。
22〜23節では、神はそのキリストを教会のかしらとして与えてくださったとあります。
つまり、教会の中心は人ではありません。牧師でも、教職者でも、長老でも、奉仕者でもありません。もちろん、彼らも大切な働きを託されていますが、彼らもまた、かしらであるキリストに仕える者の一人にすぎないんです。
教会のかしらはキリストです。
だから私たちは、自分の考えや力に頼るのではなく、かしらであるキリストにつながり、その力に支えられて歩んでいきます。
ですから、神の力を経験するということは、何か特別な奇跡を経験することだけではありません。神を信頼して、御心に従って一歩を踏み出すことです。自分の力では難しいことでも、「主が働いてくださる」と信じて、赦すこと、愛すること、仕えること、福音を伝えることを選んでいく。その信仰による従順の歩みの中で、私たちは神の力が自分のうちに働いていることを経験していくのです。
そして、その力は私たち一人だけのためではありません。
神は私たちを教会の一員として召し、互いに励まし合い、祈り合い、仕え合いながら、一つのからだとして成長するようにしてくださいました。
その意味で、神の力は、私たちの日常生活を変えるだけでなく、キリストを中心とした教会生活を中心とした生き方へと変えていく力でもあります。
一週間を自分の予定だけで組み立てるのではなく、「キリストのからだである教会の一員として、今週私はどのように兄弟姉妹に仕え、共に礼拝し、共に祈り、共に福音に生きることができるだろうか」と考えるように変えられていくのです。
---結び---
パウロは、神の力を過去の奇跡として語っているのではありません。
キリストを死からよみがえらせ、天に上げ、万物の主とされたその力は、今も生きて働いています。
そして、その力はまずキリストのからだである教会に働いています。
教会は人間の知恵や能力によって成り立つ組織ではありません。復活の主がかしらとなり、その力によって支えられている共同体です。
さらに、その力は教会全体だけではなく、教会を構成する一人ひとりの信者にも働いています。
だから私たちは、自分の力だけで信仰生活を送る必要はありません。
愛することが難しいときも、赦すことが難しいときも、奉仕に疲れるときも、福音を証しする勇気がないときも、私たちを支えるのは自分の頑張りではありません。
キリストを復活させた神の力が、今も私たちのうちに働いているのです。
だから、私たちの日常生活の中心は、「自分のためにどう生きるか」ではなく、「キリストのからだである教会の一員として、キリストに従ってどう生きるか」へと変えられていきます。
これは、私たちが頑張って新しく作り出す生き方ではありません。この神の力に押し出されて、支えられながら、私たちは礼拝を大切にし、兄弟姉妹と共に祈り、互いに励まし合い、それぞれに与えられた賜物を用いて仕え合っていくんです。そのような教会生活の中で、神の力は私たち一人ひとりをさらにキリストに似た者へと造り変えてくださいます。
キリストに現された神の力は、今も教会に働き、そして私たち一人ひとりの上にも豊かに働いている。
この確信をもって、この一週間も教会のかしらであるキリストを見上げながら歩んでいきましょう。