苦難があるから神様を信じることが出来る
私のこの文章のタイトル、内容は「逆説的」と感じられる方もおられるかも知れません。私はクリスチャンとして神様の存在、神様の愛を心から信じてる者ですが、クリスチャンではない方に時々「神様が居るのならなぜ病気や戦争、飢餓などで苦しむ人が居るの?」と問われます。
確かにこの世界、この地球上には不条理、苦しみであふれているかも知れません。私自身の半生もたくさんの苦しみを味わい今でも一生涯治療に取り組まなければならない大きな病気を持っています。「神様が居るならお前の病気をなぜ治してくれないんだ?居もしない神様に頼るなんて馬鹿みたいだしお前の心が弱い証拠だよ。」とも言われました。でも、これだけの苦難にあっても私が生きて来れたのは弱い私を神様が支えてくださったからなのです。
聖書にはこう書いてあります。
神は われらの避け所 また力。
苦しむとき そこにある助け。
それゆえ われらは恐れない。
たとえ地が変わり
山々が揺れ 海のただ中に移ろうとも。 詩篇46:1-2
この世界のすべては神様が作られました。楽しみはすべて神様が人間のために用意してくださったのです。苦しみも神様が私たちの益として働かせることができます。
神様の助けで私はこれまでの半生を生き抜いて来ることができました。私は自分が弱いことを恥ずかしいとは思いません。弱いからこそ神様の愛と助けを知ることができました。神様と過ごす人生は何物にも代えられない最高の人生です。
主(神様)は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、イエス・キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 第2コリント12:9-10 聖書